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 私は10年程前から山に登るようになった。それは中学生の頃に、
父と登った富士山が忘れられなかったからだ。その頃は、今のように
山も整備されていなく、登山もブームではなかったが、中学生の私には
印象深いものだった。初めて見た御来光、辛かった登山道、山小屋での
1泊、それら全ての光景が脳裏に焼きつき、将来、私が父の年齢になったら、
また来たいなぁと思うようになっていた。



 そしてあの頃の父と同じ年代を迎えた昨年、長年の思いが叶い富士登山を
計画した。そして当日、予定通り出発したものの、例年なら明けているはずの
梅雨が明けきれず、悪天候での出発となった。



 福井を出発して6時間。5合目に着く頃には、雨は止んだものの
ガスがかかり、気温も低くベストコンディションとはいえなかったが
登山を決行した。山の天気は標高が上がるほど変わり易いものだし、
さらに昨年は梅雨明けが遅く雨も多かったため、山では低体温症で
亡くなる方が多い年でもあった。登り始めて7合目の山小屋に着く頃には、
雨も降り出し、夜が更けるごとに雨音も激しくなって来た。「大丈夫かなぁ」
という不安が頭の中をよぎった。夜中、予定どおり山小屋を出発したものの、
登山道は暗闇の中、上りと下りの登山者で混雑していた。お互いに
道を譲りあうのだが、すれ違うのがやっとの状態だった。それでも
そんな中,3時間程で9合目に着いた。



 雨はいっこうに降り止まず、風もひどくなり気温も下がってきた。
身体は雨と風ですっかり冷え切り着衣もずぶ濡れで、最悪の状態での
登山に、体力も気力も失いかけていた。こんな状態でまだ続けられる
だろうか?頂上は目の前。すれ違う人たちに聞いてみると、混雑と
寒さの為 30分位で行ける所が倍はかかるという。この雨と風と寒さの中、
この体力で 耐えられるだろうか?耐えられたとしても、また同じ時間を
賭けて下山しなければならない。いろんなことが頭の中をよぎった。
ここまで来て苦渋の決断に迫られた。心の中では、「もう念願の頂上は
目の前よ、あきらめていいの?」と問いかけている自分がいた。
不安と迷い。そんな時夫がポツリと言った。「下山しよう!山は、
またいつでも来れるよ」 この時の夫も迷った末での決断だったと思うが、
その言葉に気持ちも楽になり、泣く泣く断念して下山することにした。


 そして、そんな悔やしい思いは1年間 心の中に残り、昨年のリベンジにと
思い、今年も富士登山を計画した。今年はリベンジということで、計画にも
気合が入った。昨年のあの寒さにも耐えられるだけの雨合羽を用意し、
寒さ対策と雨対策を入念にチェックした。


 出発前日は病院の夕涼み会。帰宅したのが午後10時過ぎ。
早々に身体を休め、早朝3時には出発した。運転は夫に任せたので、
車の中で少し休めた。今回は9合目の山小屋を早い時期に予約していた。
雨や寒さのことも考え、なるべく頂上に近い所まで、体力のある時に
行った方が良いという、前回の反省もあったからだ。


 当日は高速道路でのトラブルもあり、予定をはるかに超えた午前11時ごろ
5合目に着いた。やはり山の天気は変わり易く下界はあんなに晴天だった
のに、またもやポツポツと雨。でも今回は準備万端。体力もある。気合も十分。
予定通り決行。


 登るごとに天候は刻一刻と
変わり、ガスがかかったり
晴れ間が見えたり。でも、
嬉しいことに雨は止んで
くれた。 晴れ間が見えた
ことで寒さからも逃れられた。
しかし、そう甘くはなかった。
昨年は体験しなかった高山病
にかかったのだ。高山病とは
標高が高くなることにより酸素
が薄くなり、頭痛、吐き気、
呼吸困難に陥るというものだ。
 
凸凹の登山道
そのため、酸素ボンベを片手に何とか9合目の山小屋にたどり着いた。
5合目では19度だった気温も10度を切っていた。


 山小屋に着くと、さっそく食事を取った。山小屋は早く消灯するからだ。
食事と言っても発泡スチロールに入ったカレーである。そのカレーも
レトルトで、普段なら美味しい
とは言えないこんなカレーも
ここではとてもご馳走だった。
また、山小屋では水がとても
貴重である。手も洗えず、
顔も洗えず、トイレ後の水洗も
ままならないほどだ。ちなみに
トイレは使用料の200円が
かかる。
 
山小屋から見た風景


 食事を済ませて床に着いた。床と言っても畳1畳のスペースに2人。
4畳で8人1区切りで眠る。薄い布団がただ1枚。
冷たい上にどう見てもきれいとは言えない。夜中になると9度だった
気温も5度まで下がり、布団に入っても眠れないのだ。明日があるから
早く休まなければ。うとうととしながら5時間が過ぎた。


 午前1時、外に出てみた。夜空一面には星が輝いていた。登頂への
期待に胸が膨らんだ。「良かった。登れそうだ」。五時の御来光には
まだ早いためもう一休みすることにした。天気に安堵したのか二時間ほど
熟睡することが出来た。三時頃になると屋外も屋内も慌ただしくなって来た。
準備をする人達、登って行く人達。私達も準備をすることにした。寒さのため
服を重ね着し、さらにカイロも付けた。頭には毛糸の帽子、首にはマフラー、
手袋とマスク、勿論暗いため頭にはライト、準備は完璧だ。天気も良好、
良かった。


 外に出てみると、昨年同様行き交う人で、蟻の行列のように混雑していた。
それでも天気が良かったのが何より嬉しかった。外の気温は3度。やはり
寒い。 暗い山道を、ライトの光を頼りに1歩ずつ登って行った。上に行けば
行くほど足元の岩場はごつごつと、歩きづらくなってきた。


 恐る恐る登った4時ごろだろうか?西の空にまん丸の月が沈んでいくのが
見えた。普段なら全く見られない光景だった。そしてさらに登ること1時間。
9合目5尺に到着した。ここで御来光を見ることにした。空は青く澄んでいて
星もまだ出ていた。絶好のシチュエーションだ。こんなチャンスは2度とないと
思った。



白け行く朝

   しばらくするとうっすら東の
空が明るくなってきた。
もうすぐだ。待ちに待った
御来光がすぐそこまで来て
いる。ただそれだけで胸が
踊った。しばらくの間頬を
なでる風をよけながらたた
ずみ、寒さの中、ひたすら
待った。ベストショットを撮る
場所を探し後は待つのみ。


 午前5時、東の空が少し ずつ
オレンジ色に染まってきた。
カメラを持つ手が寒さと感動で
震えていた。オレンジ色の輪が
だんだん大きく濃くなってきた。
ついに会えた!2年間待ちに
待った御来光だ!こんなベスト
コンディションで見られるとは
感無量だ。夢中でシャッターを
きった。
 
夢にまでみた念願の御来光



影富士 自然界がみせてくれた
偉大で感動的ショー
   しばらくすると御来光とは
反対側がざわついてきた。
あ~影富士!私も 急いだ。
影富士とは富士山の影のことで
太陽が昇りきってしまうと見れ
ない大変貴重な光景だ。くっきり
写る富士山の影。この大きな
富士山が、太陽の光の作用に
よってこんなに小さな影と
なって、雲海に写し出される
ことが 不思議だった。初めて
見る光景に感動。さらに天気も
良くて登る足取りも軽かった。


 6時、ついに頂上に到着した。空気も澄み渡り頭上には一面の青空が
広がり、このような状況で登山ができたことに達成感と幸せを感じて、
この頃には疲れもすっかり忘れるほどだった。


 残すはお鉢めぐり。火口の周りを歩く
のだが、天気も良く時間もたっぷりある。
でもこのお鉢めぐりも天気がいいから
出来ること。ゆっくり踏みしめながら
3時間かけて回った。
回りながら四方八方の下界が望めた。
雲の下に広がる青々とした緑のじゅうたん。空気が澄んでいるから道路も建物も
はっきり見ることが出来た。
とても爽快な気分だった。
 
残雪が残る火口をお鉢めぐり


 今回の登山は青空にも 恵まれ、本当に最高のリベンジ となった。
今となって考えてみると昨年のあの選択は正しかったのだ。あの諦めが
あったからこそ、今年、ここに立っていられるのだと、また、今の感動が
あるのだと 改めて思うことができた。そして、登頂までの辛かったことの

最高峰から見おろす下界

  数々も夫と2人だったからこそ
耐えられたのだ。2人で1人。
これからの人生も、お互いを
思いやり究極の状況におい
ても助け合っていけたらと思う。
そしてあの選択をしてくれた
夫に感謝している。この登山で
夫婦の絆もさらに深まったよう
にも思える。


 中学の頃からの思い、目標が達成できた今、満足感で一杯である。

雲海に浮かぶ稜線

 
晴天の頂上 富士山本宮 浅間大社

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