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 チェルノブイリで原子力発電所の事故が起きて も17年が過ぎた。 その事故の
1週間後に、姉と私はポルトガル、スペインへの旅に向かうトランジットで、
それほどの情報もないままにモスクワ空港に降りたった。


 その後のニュースから、国の管理のずさんさと、広範囲な土地や人々に影響を
与えた事故の無惨さは、世界中を震撼とさせた。

 みに・キネマ福井が主催した、本橋成一監督の「アレクセイと泉」を観て、
あらためて事故のむごさと、そこに住んでいた人達の悲惨さに胸が詰まった。

 ベラルーシ共和国の小さな農村 ブジシチェ村は、森も
畑も村もすべてが放射能によって汚染され、とても人の
住める土地ではなくなった。 しかし、55名の老人と
アレクセイという青年が、今だにこの地名をも抹殺された
土地に住み続けている。 これはフィクションではない。
理由のひとつは、なぜか泉の水だけは汚染されていない
のだ。何度調べてもこの水からは放射能は検出されない。

 村人達は百年の水が沸き出ているからだという。 そして、アレクセイは言う。
「 僕はどこへも行かなかった。村からどこへも・・・・、泉が僕を村にとどまら
せたのかも知れない、泉の水が僕の中に流れ、僕を支えている 」

 青年アレクセイも、泉も、とても魅力的だったが、この映画への私の興味は
別の所で大きく膨らんでいった。


 17年経った今も、畑の野菜、森のキノコなど から
高レベルの放射線が出ている。 食することなど当然
躊躇せざるを得ない状況だ。 それでも自給自足の
村では、この汚染された土地で作るしかないのだ。

 キャベツ、ジャガイモ、赤カブ、玉葱、豆、ニンジン、限られた食材は丁寧に
使われ、余すことなく料理されて 食卓に並ぶ。 彼らはおしゃべりをし、笑いながら
楽しそうに
食べる。

 その次に現れたシーンは圧巻で 私の心臓は ドキドキと高鳴った。
誇り高く、偉そうに悠然と構えていた 「将軍」と呼ばれていた
ガチョウが、アレクセイの誕生日のご馳走として丸焼きになって、
テーブルの中央にあった。 しっかりと首を伸ばし立っている 生きて
いた時のガチョウと、丸焼きになった将軍がダブって映し出された。
 

 その時、アレクセイの母親は彼に言った。
「 このガチョウの丸焼きは、かわいがって育てたからおいしいよ 」

 この言葉に私はすごい衝撃を受けた。

 そんな風に考えたことなど一度もなかった。おそらく今日( こんにち )の
日本人で、そのように考えられる人がいるのだろうかとさえ思った。

 ところが本橋監督は講演のなかで、幼いとき飼っていた鶏にクラスのかわいい
女の子の名前をつけて世話をしていた。 その鶏を父親が絞めて食卓に出して
くれた時、「かわいがっていた鶏だから、しっかり食べてあげるんだよ」って
言われたと話された。

 それを聞いて、私の遠い記憶からも浮かんできたシーンがあった。

 本橋監督と私は同年代、戦後まもない頃の食糧事情は とても質素だった。
卵などというものは 病気にならなければ食べられなかった。 それで母は卵を
孵卵器 ( ふらんき ) であたためて、ヒヨコにかえした。 ヒヨコになる卵と、
その日のうちに食されていく卵があったのに、その頃の私は そのことをなんとも
思わずにいた。 学校から帰ると小川に行き、ニナを捕ってきて石でつぶし、
鶏に食べさせた。 私が鶏小屋の前に立つと鶏達はいっせいに集まってきて鳴き
声をあげた。 母鶏になったような思いをしたことを覚えている。

 ある日鶏小屋に行くと、庭で伯父が鶏を潰( つぶ )していた。 おそるおそる
見ていると、丁度お腹を開く所だった。 丸いこんもりとしたきれいな色の黄身が
連なってずるずると出てきた。 あした産み落とされるものから、ずーっと先に
出てくるものまで、段々小さくなって連なっているのだ。 子供心にも生命の
不思議を見た気がした。

 2年前エジプト旅行をした時、日干しレンガで出来た
貧しい家のなかや周囲には、多種の家畜が飼われていた。
裸足で飛び出してきた 砂埃だらけの女の子は、日なが一日、
この動物達を相手に遊んでいるようだった。 何時かは食料に
なるだろうことは私にも察しがついた。 食べ物と一緒に
いれば安心だろうとも思った。 しかし、その心情を思う時、
どうしても疑問が残っていた。この映画を観、監督の講演を
聞いたとき、それらの意味がはっきりと理解出来た。 思い
は感動に変わった。

 そうなんだ、かわいがっていたからこそおいしいのだ。そして、しっかり食べて
あげ
なければいけないのだと。

 食するということは、本当に厳しいものだ。 また、そうでなければならないの
だろうと強く感じた。

 現在は加工品のみがあふれ、原材料の見えない時代である。
子供たちの教育にとって本当にこれでよいのだろうか。
 

 アレクセイのお母さんのように、「 かわいがって育てたから
おいしいよ 」 と、言えるすごさを持ちたい。

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